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「日本の世界遺産」「国宝・史跡・名勝」「日帰り温泉」を巡る、旅ブログを主に綴っています。

福井市 北の庄城跡と福井城跡

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前の記事」(越前丸岡城)のつづきです。
福井県福井市の「北の庄城」は、柴田勝家が築いた城です。

織田信長は、一向一揆を壊滅させた直後の天正3年(1575)8月に越前49万石を柴田勝家に与えました。
勝家は足羽川と吉野川との合流点に北の庄城を構築し、まちづくりにも創意を施し、城下の繁栄のために「一乗谷」から社寺・民家等を北の庄へ移転させるなどに努め、今日の福井市の基礎を築きます。

かつての城は、9層の天守閣がそびえる壮大なスケールだったと書簡の中にあり、天正11年(1583)に豊臣秀吉によって落城。
現在は、北の庄城の跡地を整備した公園にし、柴田神社や勝家・お市などの像があります。
柴田神社付近が本丸であったと伝えられています。

「福井城」は、北の庄城の跡地に、徳川家康の二男・結城秀康(初代福井藩主)が築いた城です。
結城秀康は、68万石で北の庄に入封、1601年より築城を開始します。
1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、慶長11年(1606)に約6年の歳月をかけて城を築城。
以降、約270年間17代にわたり、越前松平家の繁栄が続きます。
第3代藩主松平忠昌によって、「北の庄」から「福居」に改名されたそうです。

築城当時は4層5重の天守閣と三重の堀をもっていたと言われますが、寛文9年(1669)の大火で焼失した跡は再建されなかったそうです。
現在では石垣と堀の一部だけが残されていて、本丸跡には福井県庁が建っています。

北の庄城跡(柴田神社)は、JR福井駅から徒歩で約5分の場所にあります。
このあたりは、「福井城」の三の丸跡の南に位置し、ビル街の中に神社と公園があります。
遺構からは、この場所に「あったのであろう…」と想像するしかない…感じでした。
でも、ここは山城ではなかったのですねぇ。

福井城本丸跡は、前を通っただけで、次に「養浩館庭園(旧御泉水屋敷)」へ行きました。
○養浩館庭園(旧御泉水屋敷)については「次の記事」にします。

◇「北の庄城跡・柴田神社」(柴田勝家が築いた北の庄城)
福井市中央1-21-17
交通:JR北陸本線「福井駅」から徒歩約5分。
(福井城本丸跡から南西へ徒歩約8分)

◇「福井城跡」(結城秀康が築いた北の庄城)
福井市大手3-17-1
交通:JR北陸本線「福井駅」から徒歩約5分。

Written by むねこ

2011年10月19日 @ 1:00 PM

カテゴリー: おでかけ(福井)

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1件のフィードバック

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  1. […] 「前の記事」(北の庄城跡と福井城跡)のつづきです。 福井城の本丸跡(福井県庁)から北へ、約500mの位置に、国の名勝「養浩館庭園」があります。 […]


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