むねこのICTスペース

「日本の世界遺産」「国宝・史跡・名勝」「日帰り温泉」を巡る、旅ブログを主に綴っています。

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姫路城 千姫ぼたん園 2012.4

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ゴールデンウィーク前半、姫路に帰省しました。
ポンちゃんがこの春に転勤し、カレンダー通りの勤務になったので…
今回は、3日間とたっぷり時間があり…
一人で、朝・夕と姫路市内を散策しました(^_^;)

姫路城大天守は、2009年~2015年まで保存修理工事が行われ、メッシュシートで覆われています。
この日は、天守閣には入城せずに、大手門前の護国神社~三の丸広場~播磨国総社を散策しました。

姫路城 三の丸広場から

「千姫ぼたん園」は、千姫の義父・本多忠政の居館があった姫路城三の丸の高台(西の丸側)にあります。
例年4月下旬~5月上旬に牡丹の花の見ごろを迎えます。
2012年4月29日の時点で、「千姫ぼたん園」の牡丹は咲いていました(*^_^*)。

つづきを読むからはフォトギャラリー9枚です。
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Written by むねこ

2012年5月2日 at 5:01 午後

伏見区 醍醐寺 門前の甘味

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前の記事」(醍醐寺の桜)のつづきです。
2012年4月7日に京都市伏見区の醍醐寺に行きました。

桜の季節の醍醐寺は非常に美しいですが、拝観者も多く賑わいます。
特に三宝院の大玄関の横のしだれ桜には、常に沢山の人たちが…

今回は、お坊さんの案内があり、三宝院の西側にある修証殿の方に初めて行きました。
修証殿の南側には、憲深林苑があり、そこにもしだれ桜がありました。
そして、桜を見ながら楽しめる野点席(お茶席)もありました。
隠れた奥にこんな所があったのですねぇ…発見です。

三宝院を拝観した後、霊宝館の西側(雨月茶屋の前)に出店が出ていたので休憩をしました。
まだAM10時前でしたが、温まるものを…と思い、うどんをいただきました。

この後、霊宝館などを拝観し、AM11時過ぎにはお寺を出る事にしました。
総門の前の「醍醐道」は、駐車場に入れない車が列をなしていました。
京都の桜のシーズンは、ひどく渋滞しますので、早い目にスタートしないと酷い目にあいますね(-_-;)。

醍醐寺の総門前に甘味屋さんを見つけました。
八ツ橋のお店「京栄堂」さんです。おみやげに「つつみ生八ツ橋」を買いました。
初めて見る食べ物です。
あん入り生八ツ橋を、三笠の生地で優しく包んだもの…だそうです。
店内の試食は、焼き立てでした。
どら焼きのような食感で、ニッキの香りもして… 好みの味でした…(*^_^*)。

醍醐寺のしだれ桜は、見事ですね。

◇真言宗醍醐派 総本山醍醐寺
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22 TEL075-571-0002
拝観時間:9:00~17:00(12月第1日曜の次日~2月末は9:00~16:00)
拝観料:伽藍600円、三宝院600円、霊宝館600円(共通券も有)。
【電車】地下鉄東西線「醍醐駅」(外環状線)から東方向へ、約800km(徒歩10分)。

◇京栄堂 醍醐店
京都府京都市伏見区醍醐中山町13  TEL075-574-2028
(醍醐寺総門から徒歩2分)

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2012年4月15日 at 12:09 午前

伏見区 醍醐寺の桜

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近所のソメイヨシノが咲き始める前の…
2012年4月7日、京都市伏見区の醍醐寺へ行きました。

洛南のしだれ桜は、ソメイヨシノより早く開花します。
醍醐寺のしだれ桜は、5部~7分咲きでした。

霊宝館のしだれ桜

醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山です。
弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が、貞観16(874)年に創建。
開創後、醍醐・朱雀・村上の三代(第60~62代)にわたる天皇の帰依により、山上山下にまたがる大伽藍が整いました。
応仁の乱で、下醍醐は五重塔(国宝)を残して焼失、上醍醐も荒廃後、豊臣秀吉・秀頼によって再建されました。

三宝院は、建造物の大半が重文に指定されていて、中でも表書院は国宝に指定されています。
三宝院庭園は、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
庭園は、秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら設計をしたそうです。
(三宝院の建物の中、庭とも撮影は禁止です)

つづきを読むからは、フォトギャラリー9枚です。
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Written by むねこ

2012年4月13日 at 11:58 午後

広島の旅 宮島の名物甘味

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前の記事」(宮島 厳島神社周辺)のつづきです。
1日目の呉市観光の翌日は、早朝から宮島に向かいました。

宿泊は、呉市と廿日市市の中間に位置する広島港(宇品)の近くの「グランドプリンスホテル」にしました。
連泊(2泊)素泊まり(温泉付き)にして、旅費を節約です(^_^;)。
国道2号線の渋滞をさける為、朝食抜きで「宮島口桟橋」へと車で走りました。

到着したのはAM8時前で、8:00発のフェリー(宮島松大汽船)に乗ることができました。
宮島口桟橋から宮島へのフェリーは、JR西日本宮島フェリーもあり、料金はいずれも片道170円です。
8:00~18:00は、だいたい1時間に4便×2社=8便あるので、往復切符を買う必要はないと思います。

宮島口桟橋(本州側)に車を停め、フェリーに乗船。10分で宮島に到着。
宮島に上陸し、厳島神社に向かいます。当然ですが、表参道商店街はまだ営業していません…
鹿が出迎える海側の参道を歩いていると、引き潮で大鳥居の根本まで歩く人の姿が見えました。

この日は、干潮が6:26、満潮が12:35でしたので、干潮は観られないと思っていたのですが。
干潮時の潮位が28cm、満潮時の潮位が333cmでしたので、朝の8時過ぎでも潮位が100cm以下だったようです。
ぜひ、「潮の干・満の表」をチェックしておいてください。
それで、干潮時と満潮時の2回、厳島神社を参拝することにしました(再入場可)。

1回目の参拝を終え、大願寺→清盛神社→豊国神社経由で表参道商店街に行きました。
朝食抜きでしたので、いい匂いにつられて…「もみじ饅頭」を店内でいただきました。
宮島が「もみじ饅頭」の発祥の地だそうで、店内で製造をしている為、焼き立てをいただけます。
さらに、宮島でしか味わえない「変り種」もあります。
いろんなお店で、いろんな変り種のもみじ饅頭を買ってまわりました(*^_^*)。

表参道商店街のお食事処「宮島 いな忠」さんの店頭で、アナゴを焼いていて…
AM10:30~営業されていたので、入りました。
ここで「あなごめし」をいただきました。
地アナゴにこだわる老舗店のようで、身の引き締まったアナゴを香ばしく焼きあげていました。

その後、宮島桟橋前広場で「宮島かき祭り(2月の第2土・日)」が開催されていたので、行ってみたのですが…
AM11時過ぎの時点で、各販売コーナではもう行列が出来ていました。
しばらく、ここで時間をつぶし、2回目の厳島神社の参拝に行きました。

2回目の参拝を終えて、表参道商店街に行くと、身動きがとれないほどの人人人…
さらに、「かき祭り」の方に行くと、もっとスゴイ人で…
こんな小さな島に、何人の人が上陸したのだろう…と驚きました。

早朝から厳島神社参拝を済ませ、AM11時前にお昼ご飯も済ませておいて良かった…
…とつくづく思いました。

◇宮島 表参道商店街
アクセス:宮島口桟橋(本州側)→宮島へフェリーで約10分→宮島桟橋から約500m(徒歩約5分)。
【電車】広島駅からJR山陽本線で25分(400円)「宮島口駅」下車、駅から「宮島口桟橋」へ徒歩3分。
広島駅から広島電鉄宮島線で1時間「広島電宮島口」下車、駅から「宮島口桟橋」へ徒歩1分。
【車】広島岩国道路「廿日市IC」または「大野IC」から「宮島口桟橋」へは国道2号線で約4km(10分)。

◇坂本菓子舗
広島県廿日市市宮島町455 TEL0829-44-0380
営業時間:8:30~17:00
主要商品: もみじ饅頭・杓子せんべい

◇宮島 いな忠
広島県廿日市市宮島町507-2 TEL0829-44-0125
営業時間:10:30~15:30 店休日:毎週木曜日

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2012年4月11日 at 9:46 午前

広島の旅 宮島 厳島神社周辺

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前の記事」(宮島 厳島神社)のつづきです。
前の記事で、寝殿造りは、平安時代の都の高位貴族住宅の様式で、南の庭に面して建てられている…
と書きました。
しかし、厳島神社の御本社正面は北西方向を向いています。もろ逆光でした…(-_-;)。

島全体を御神体として、本州側から船で参拝をしていたので、本州側(北西方向)を向いていると考えます。
ですから、下の案内図は、南が上で見ます(^^ゞ。
厳島神社の入口は東側で、まず「摂社の客神社」があり、回廊で各建物を結び、中央に「御本社」、西側に「大国神社」「天神社」「能舞台」などがあり、西側が出口です。

宮島 案内図

厳島神社の東側の高台に「末社 豊国神社」と「五重塔」、南側の弥山中腹に「大聖院」、西側に「大願寺」「多宝塔」「清盛神社」、北側に「大鳥居」があります。

○「豊国神社」…天正15年(1587)に豊臣秀吉が、大経堂(読経所)として建立したもの。明治初年の神仏分離の際、仏像は大願寺に移し厳島神社末社となる。重要文化財。
○「大願寺」…日本三弁財天の一つ厳島弁財天を祀り、明治維新までは厳島神社の修理造営を司っていました。
○「大聖院」…真言宗御室派の大本山。明治維新まで厳島神社の別当職として祭祀を司ってきました。大同元年(806)に弘法大師が、弥山の上で修行をして開基したと伝えられます。
○「清盛神社」…御祭神:平清盛公。昭和29年の清盛公没後770年を期に、三翁神社から御祭神を遷座創建されました。

つづきを読むからは、フォトギャラリー8枚です。
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Written by むねこ

2012年4月10日 at 2:17 午後

広島の旅 宮島 厳島神社

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前の記事」(広島に行ってきました)のつづきです。
1日目の呉市観光の翌日は、朝から廿日市市の「宮島」に向かいました。

この日は、干潮が6:26、満潮が12:35でしたが、干潮時の潮位が28cm、満潮時の潮位が333cmでしたので、朝の8時過ぎでも潮位が100cm以下だったようで、厳島神社の干潮時・満潮時の両方を観る事ができました。
○「潮の干・満の表」をチェックしておでかけください(^_-)。

☆この日の写真(34枚)は、Windows live でフォトアルバムにしました。
フォト h 宮島 厳島神社(世界遺産・国宝)2012.2」です。

太古より、宮島は島全体をご神体としてとらえており、人が住むことも許されない聖なる土地として言い伝えられていました。
宮島は神職や僧侶でさえ島に渡るのは祭祀の時のみで、人が住み始め、町が形成されたのは、鎌倉時代末期からだそうです。

宮島は全島が国の特別史跡・特別名勝、弥山北麓の原始林が国の天然記念物に指定されています。
さらに、平成8年(1996)嚴島神社とその背後の弥山一帯がユネスコの世界文化遺産に登録されました。

厳島神社は推古元年(593)、大和時代の安芸の豪族である佐伯鞍職により社殿の基礎が創建されました。
平安時代後期の仁安3年(1168)には、神主の佐伯景弘が平清盛の援助を得て、現在の様式の海上社殿に造営されました。
その後二度の火災を経て、現在の客神社は鎌倉時代の仁治2年(1241)に、御本社本殿は室町時代後期の元亀2年(1571)に再建されたものです。

平家が滅んだ後も、鎌倉幕府や室町幕府、地元の領主大内氏や毛利氏、また豊臣秀吉も嚴島神社を信仰し、篤く庇護しました。

厳島神社の社殿ですが、平安時代の寝殿造りの建築様式をよく残しています。
現存する寝殿造りの建物は、もう残っていない為、当時を知ることができる貴重な遺産と言われています。

寝殿造りは、平安時代の都の高位貴族住宅の様式で、寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、東西に対屋と呼ばれる付属的な建物を配し、それらを渡殿でつなぎ、更に東西の対屋から渡殿を南に出してその先に釣殿を設けたものです。

外観は、なんとなくですが…「平等院」に似ていると思いました。
平等院は、平安時代後期の1052年に宇治関白藤原頼通が、父道長の別荘を寺院に改めたものです。
平等院は前面は池ですが、厳島神社は海です。さらに潮の満ち引きにより姿を変えます。
壮大や奇抜な海上社殿だと言われるのも納得です(*^_^*)。

◇世界遺産 厳島神社
広島県廿日市市宮島町1-1 TEL0829-44-2020
アクセス:宮島口桟橋(本州側)→宮島へフェリーで約10分→宮島桟橋から約800m(徒歩約10分)。
【電車】広島駅からJR山陽本線で25分(400円)「宮島口駅」下車、駅から「宮島口桟橋」へ徒歩3分。
広島駅から広島電鉄宮島線で1時間「広島電宮島口」下車、駅から「宮島口桟橋」へ徒歩1分。
【車】広島岩国道路「廿日市IC」または「大野IC」から「宮島口桟橋」へは国道2号線で約4km(10分)。
【船】「宮島口桟橋」から、JR西日本宮島フェリーまたは宮島松大汽船で10分、「宮島桟橋」下船(片道170円)。
広島港から高速艇で22分(片道1800円)。
元安桟橋(平和公園そば)から世界遺産航路で45~55分(片道1900円)。
拝観料:300円。 時間:6時30分~18時(季節によって変更あり) 無休 Pなし
○厳島神社の主祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三女神です。

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2012年4月7日 at 12:08 午前

姫路城 2011.12

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今年も義父の命日に姫路帰省し、姫路城を見に行きました。
姫路城大天守は、2009年~2015年まで保存修理工事が行われています。

2011.12の姫路城天守の様子です。
大天守を覆う素屋根は鉄骨トラス構造で、備前丸からの高さは約52.5mで13階建てのビルの高さに相当します。
素屋根の壁面には約800枚ものメッシュシートを取り付けているそうです。

三の丸広場から撮影しました。

☆ちなみに、工事前の姫路城はこちらで記事にしています↓
姫路城(世界遺産・国宝)2008.12

◇姫路城
兵庫県姫路市本町68番地 TEL079-285-1146 【休】12/29.30
入城時間:9:00~16:00(閉門17:00)、4/25~8/31は9:00~17:00予定(閉門18:00)
入場料:一般400円
アクセス:JR山陽本線・山陽電鉄「姫路駅」から徒歩15分

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2011年12月31日 at 8:17 午後

橿原市 藤原宮跡(国の特別史跡)

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前の記事」(奈良県橿原市の本薬師寺跡)のつづきです。
藤原京は、第41代持統天皇の8年(西暦694年)から和銅3年(710年)まで、持統・文武・元明天皇三代にわたる都でした。
藤原京の大きさは東西2.1km、南北3.2kmと推定されてきましたが、この範囲をこえて外側にも道路や宅地が広がっていることが近年の発掘調査によってわかり、平城京をしのぐ広大な都だったと言われています。
北に耳成山、東に天香久山、西に畝傍山の大和三山を望み、「万葉集」にもこの地に関する歌が数多く残っています。

藤原宮は、藤原京の中心部にあたります。
本薬師寺跡からは、北東の位置に「藤原宮跡」があります。
藤原宮の大きさは約900m四方、まわりを大垣(高い塀)と濠で囲み、各面に3か所ずつ門が開きます。
中には、天皇が住む内裏、政治や儀式をおこなう大極殿と朝堂院、そして役所の建物などが建ち並んでいました。

現在、藤原宮跡は、広々とした草原状になっていて、国の特別史跡に指定されています。
大宮土壇と呼ばれる大極殿跡(木立が目印の土壇)、内裏跡、朝堂院跡、役所跡などが土中に埋もれているそうです。

遺跡は、建物が残っていないので、わかりにくいかもしれませんが…。
私は、その地に立つと、ワクワクしてきます(^^ゞ。
○ちなみに、以前、明日香村に行きました。その時の記事はこちらです↓
明日香村(古代史ロマンのさと)

◇特別史跡 藤原宮跡
所在地:奈良県橿原市高殿町一帯

◇橿原市藤原京資料室(藤原宮跡の西側)
奈良県橿原市縄手町178-1(JAならけん橿原東部経済センターの2階)
入室時間:9:00~17:00まで(入室は16:30まで)
休室日:毎週月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日)、年末年始(12/27~1/4)
入室料:無料 駐車場:無料(普通車30台、バス2台)
【電車】近鉄大阪線「耳成駅」から南へ約2㎞。JR桜井線「畝傍駅」から東へ約1.7km。
近鉄橿原線「畝傍御陵前駅」から東へ約2㎞。

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2011年9月13日 at 7:09 午後

橿原市 本薬師寺跡のホテイアオイ

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暑かった8月も終わり、9月になりましたね。
今年の9月は、少しは涼しくなることを願います。

8月末~9月中旬は、コスモスの見頃には早いですし…。
調べてみたら、奈良県橿原市の「本薬師寺跡」周囲、1.4ヘクタールの水田のホテイアオイが「見頃」だとのこと…。
早速、見に行くことにしました(^^)。
ホテイアオイは、別名はウォーターヒヤシンスといいます。水草の1種で水面に浮かび紫色の花を咲かせます。
朝につぼみが開花し、夜になると萎み、翌日の朝に新しい蕾が花開くそうです。

ホテイアオイの花

本薬師寺は、「日本書記」によると天武九(680)年に、第40代天武天皇が皇后(持統天皇)の病平癒を祈念して発願された寺です。
寺域は、藤原京右京八条三坊を占めていましたが、平城京遷都に伴い養老二(718)年に平城京右京六条二坊に移転されたことが「薬師寺長和縁起」によって知ることができます。
「中右記」によると、寺が移転した後も平安時代中頃まで伽藍の存在が確認できます。また、この頃には平城京の薬師寺に対して、本薬師寺と呼び、区別するようになりました。

「つづきを読む」からはフォトギャラリー(8枚)です。
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Written by むねこ

2011年9月1日 at 1:10 午後

福井市 一乗谷朝倉氏遺跡

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一乗谷は、福井市街から約10km東南方向の福井市城戸ノ内町にあります。
あのソフトバンクのCMの「白い犬のお父さん」の故郷としても知られるようになりましたが、「一乗谷朝倉氏遺跡」があるところです。

一乗谷には、戦国時代朝倉氏の城下町の跡がそっくり埋もれていました。
遺跡の発掘調査が、昭和42年から進められ、昭和46年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。
さらに、平成3年には諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園を含む4,205平方mが国の特別名勝に指定されました。

朝倉義景館跡 唐門

CMでも登場しますが、「朝倉義景館跡の唐門」あたりが遺跡だろうと思っていたのですが、城下町がまるまる特別史跡になっていて、一乗城山の頂上付近(海抜473m)に一乗谷城跡があり、その山麓に「領主の館群跡」、一乗谷川を挟んで「武家屋敷群跡(町並立体復原地区)」「寺院と町屋群跡(平面復原地区)」…と広い…。
特別名勝の庭園は、義景館跡の上にあるので階段を登ります。
なめていた私が悪いのですが…城跡はともかく…ゼンブマワレナカッタ(T_T)。

-朝倉氏について-
朝倉氏の祖先は、但馬国養父郡朝倉(兵庫県養父市八鹿町)の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。
以後、孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代103年間にわたって越前の中心として繁栄しましたが、天正元年(1573年)織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあいました。

つづきを読むからは、フォトギャラリー(8枚)です。
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Written by むねこ

2011年8月22日 at 2:03 午前